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2008年8月28日 (木)

『幽談/京極夏彦』(メディアファクトリー)

幽霊解体新書みたいな感じです。

「幽談」というタイトルにも関わらず、幽霊は出てこない…と書いてしまったら、ネタバレですね。
ごめんなさい。

でも、京極ファンなら、その展開は容易に読めるとは思います。

京極さんは、妖怪や幽霊やあやしいものを素材にお話しを数多く書いておられますが、実は、本当に幽霊や妖怪が出てくる話しはないと言っても過言でもないと思うのです。

京極堂シリーズに出てくる、有名なキメセリフ、「不思議なものなど何もないのだよ」に、それは象徴されていると思います。

この本には、

「手首を拾う」
「ともだち」
「下の人」
「成人」
「逃げよう」
「十万年」
「知らないこと」
「こわいもの」

の、8つの短編が収録されています。

わたしは、中でも、「下の人」がこわかった。

ベッドに寝転んでこれを読んでいたので、余計にぞぞぞぞぞ~っと、きました。
性格に言うと、「こわい」というのではなく、「不快感」というのが正しい感覚かもしれません。
主人公の女性の、淡々とした「不快感」への反応がとても素晴らしい。
人は、日常に相容れないものを見つけた時、実は、淡々とこの女性のような対応するのではないでしょうか。


「逃げよう」
も、かなりおもしろい作品でした。

小学生の少年が、ひたすら、「何か」から逃げ続ける話しなのですが、その何か、と、少年の、果てしなく相容れないのに、果てしなく腐れ縁のような感じが、とても不幸な漫才のようで、薄気味悪いのに、なぜか、笑ってしまうような、変な感覚がありました。

京極さんの作品は、こういう妙に一人ボケツッコミのような変なユーモアがあるなぁと思うのでした。

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2008年8月14日 (木)

『記憶の小瓶/高楼方子』(クレヨンハウス)

児童文学作家、高楼方子さんのエッセイ。

およそ2歳児くらいから、小学校中学年くらいの、記憶を掘り起こして、高楼さん自身の思い出を記したエッセイ集です。

ご自身が、

「人の幼少期の話は、自分の幼少期の記憶を呼び覚まします。この極私的な回顧話に意味があるとすれば、その一点に尽きるでしょう。」

と、書いておられるように、誰もが違う幼少期を過ごしているはずなのに、他人の幼少期の話しに、まるでデジャヴのような気持ちがするのはなぜだろう。

わたしも、このエッセイを読みながら、子どもの頃に過ごした、川と鉄道の線路にはさまれた、古い長屋のようなアパートの風景を思い出しました。

今の街へ引っ越して来る前、わたしは小学1年生まで、その古いアパートで過ごしたのでした。

時代だったのか、そのアパートの住民がそうだったのか、わたしの記憶の中で、そこの人々の暮らしは、かなり古ぼけたイメージがあるのです。

川と線路に挟まれて、子どもを育てるには危険と隣合わせの環境だったろうに、わたしは、あまり親に、危ないから線路や用水路へ行くなと言われた記憶がない。

用水路を飛び越えようとして、飛び越えきれず川の中に落っこちて、大きな子たちに助けられたこともあったし、線路の上でケンケンパなんてことをして遊んだこともありましたが、不思議と叱られた記憶がまったくないのでした。

子ども心に、そこの暮らしで強烈に覚えていることは3つ。

一つは、ものすごく酒癖の悪いおじさんが1人いて、夜中に、奥さんの名前を叫びながら近所中を歩き回っていたということ。
その奥さんの名前が、「ヨーコ」ということ。
おじさんは、しょっちゅう、夜中に、
「ヨーコ!ヨーコ!」
と、叫んでいたのでした。

二つ目は、同じ小学校に通う男の子の家が、火事で焼けたこと。
連は違うけれど、同じつくりのアパートに住んでいた男の子でした。
母親がその火事で亡くなられたこと。
わたしは、ランドセルを背負って学校から帰宅していて、家の中から、家財道具を運び出す、その男の子と父親の姿をボーッと見ていた記憶があります。
なぜか、男の子は大きな黒いフライパンを持っていたのでした。

三つ目は、同じアパートの六年生のお兄さんのこと。
このお兄さんは、とても優しくて、一年生のわたしが遊びに行ってもイヤな顔ひとつせずに相手をしてくれる子でした。かけっこをしても、アパートの角を曲がったところで、座って待っていて、必ず、わたしに追い越させてくれ、いつもわざと負けてくれるようなお兄さんだったのでした。
わたしの母親も、「たかしくんは、とても優しい子だから安心してまかせられる」というようなことをよく言っていた。
けれど、なぜか、そのたかしくんは、いつもスヌーピーのぬいぐるみを持ち歩いていたのでした。
今のわたしになら、それが、その少年にとっての、「ライナスの毛布」みたいなものなんだろうなとは思うのだけれど、子どもの頃のわたしは、ちょっと不思議なお兄さんだなぁと思っていたのでした。
とはいえ、いつも遊んでくれるので、大好きなお兄さんだったのでした。


…ね?

やっぱり、こうやって、人の幼少期の思い出を聞くと(読むと)、自分の幼少期のことがぶわっと思い出されてくるのです。

夏バテ気味で、眠れなくて困っていましたが、少しだけ、元気が出る思いです。

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2008年8月13日 (水)

『幻狼神異記Ⅲ/横山充男』(ポプラ社)

幻狼シリーズの完結編。

主人公健(たける)を取り巻く陰謀と、自らの力に挑む最終巻。

誰が敵か味方か…という緊張感よりも、健の身体の動きと、心の動きが連動してえがかれていて、読んでいるこちらに充実感が伝わってくる。

物語は終わっても、健はまだ中学生。

これから、さまざまな困難に向かい合って生きていくことになるだろう。

けれど、狼を守護神に持つ健のこと、さまざまな困難といっても、少しだけ普通の中学生とは違う困難にはちがいない。

それは、健の祖父が言っていた、「生涯、戦いの日々となるであろう」という言葉どおりの人生になるのかもしれない。

どんな物語でもそうかもしれないけれど、架空の物語、ファンタジーであっても、根底に描かれているのは、この現実。

健の生涯に思いを馳せる事のできる読者は、その心の隅っこに、自分の修羅を抱えて生きているのではないだろうか。

けれど、健のように、真摯に誠実に一歩ずつ歩んでいくということが第一に大切だという事を、この作品は教えてくれる。

丁寧に、自分の心に素直に一歩ずつ。

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2008年8月 5日 (火)

センスとか。

松尾スズキさんのエッセイ&マンガ集、『読んだはしからすぐ腐る!』(実業之日本社)を読んだ。

ものすごくおもしろいんですが、何かこんな本を乙女が読んでもいいんでしょうか…と、ふとわれに返ったので、詳しくは感想書きません。

掲載していたのが、成人コミック誌だというのもあるんだろうけれど…。

でも、どのページかで、ものすごいツボにハマッて、お腹がよじれるくらい笑ってしまいました。

あまりにも笑って、その後に見た、毎週楽しみにしている「レッドカーペット」という番組では、笑い疲れて、いつものようには笑えないほどでした。

この本には、赤塚不二夫さんと松尾スズキさんの対談ページが載っていて、天才同士の会話は理解不可能だなぁって思いながら読んだ数日後に、赤塚不二夫さんの訃報を携帯電話のフラッシュニュースで知り、何とタイムリーだなぁと、思ったのでした。

赤塚不二夫さんといい、手塚治虫さんといい、こういう人たちの死は、なんとなく、一つの時代の終わりのような気さえします。

歴史を作っていくのは、表舞台に立っている政治家さんたちなのかもしれないけれど、日本という国の心とか、精神とか、そういうものを知らず知らずのうちに作っていっているのは、こういう表現者さんたちなんじゃないかと思ったりするのです。

携帯電話のフラッシュニュースを見た瞬間に、思わず、「ショックなニュースだよ!」と、周囲にいた友人知人たちに知らせたのですが、若者の中の何人かは、

「もうドラえもん読まれへんのやぁ~」

と、勘違いしている人もいましたcatface

でも、赤塚さんと藤子さんの区別がついてなくても、バカボンは知っているし、「シェー」とか、知ってるわけで。

それって、無意識に日本人の頭の中に刷り込まれた文化なんじゃないかと思ったりするのでした。

水木しげるさんとかも、日本人なら誰でも、水木さんの描く妖怪とサラリーマンの区別はつくだろうし。

でも、例えば、欧米人が見たら、水木さんの妖怪の絵とサラリーマンの絵は、どっちも妖怪に見えるのかもしれないし。

日本人には、独特の美的センスが刷り込まれていると思うのでした。

…で、最近は、今、話題の若手の執筆業な方々のエッセイを読んでみたりしていたのですが、松尾スズキさんのエッセイのパンチが効きすぎなのか、それとも、他の人たちのがあんまりたいした事なかったのか、感想をアップする気にはなれませんでした。


よくテレビでも見かける若いユニークな女性執筆業の方の本、初めて読んだのですが、3分の1くらいまで読んで挫折…どうにか最後まで読もうと思ったのですが、読めば読むほどおもしろくなくなってきて、何だかむなしくなってきたので、本を閉じました。


あんまり身を削って書いてないじゃん…と、プロの方へ、生意気にもダメ出し気分…。

スズキさんほどに、身を削れとは言わないけれど、自分は安全地帯にいて、人にツッコミを入れるエッセイは、つまんないね。

ツッコむなら、ツッコまれる覚悟で。

自戒を込めて、本を閉じた夏なのでした。

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